(もう少し)詳しくは後で書くとして、
なぜに、
「これじゃ裁判員制度は実施無理でしょ」
という考えには至らなかったのだろう?
この著者は「裁判員」をぜひやってみたい、と思っているのか?
ま、そういう考えがあってもいいけれど...
その国語力で裁判員になれますか? 著者名:入部明子(著)
出版社:明治書院
出版年:2008.04
ISBN :9784625634048
日本人(まぁ、あえていえば一般人)の
国語力は「裁判員制度」に参加して十分に力を発揮できるほどではない、と。
「裁判員制度」に参加するには、それ相応の
国語力が必要だ、その国語力を一般人がつけらければいけない、
具体的には、というのが続いていく。
まぁ、こういう内容か。
でも、ここで疑問。
一般人の国語力は「裁判員制度」に参加して十分に力を発揮できるほどではない、
というようなことであれば、
普通は、「それで裁判員なんかになれるのか?」とか、
「そんな人が裁判員になって大丈夫か?」
「そもそもそんな人が義務で参加してくる裁判員制度、っておかしくないか?」
などのような考えには至らないのだろうか?
裁判に参加できるほどの国語力のない人を、
むりやり義務だといって指名し、裁判に参加させてしまう、
なおかつ有罪か無罪か、有罪であればどんな刑か、
まで判断させてしまうのですよ。
普通なら、「そんな制度無謀だろ」
と考えるのではないでしょうか?
義務だからといっても、指名された人がみんな
やる気を持って参加すると思いますか?
真剣に判断すると思いますか?
おそらくいやいやだから「適当に誰かの意見に合わせておく」
そういう人続出でしょう。
たとえこういう本で「それじゃダメだ」といったところで、
最初からやる気のない人は聞く耳を持ちません。
「裁判にそんないい加減な態度で望むことは出来ません」
そりゃそうでしょ。
だいいち、被告だってそんないい加減なひとに裁いてもらいなくないでしょ。
だから、やる気のない人を裁判員にさせることが間違っているのです。
そんな人を義務だといって強制的に参加させる制度がそもそもおかしい、
どうしてそういう考えにならないのかな?
この本の内容がどうこうより、
書いてあることの一言一言からは、そっちの方が気になった。
読めば結果的には、「裁判員制度がいかに無茶なものか」ということが
判ってしまうという、ちょっと皮肉な内容...。

