というか、タイトルを見たときの直感そのままというか、
大方予想できたところがちょっともの足りない。
想像を越える「何か」をちょっとは期待して読んだのだけれど...
(長文になってしまいました...)
国民性変革のために「思い切って日本語を捨てる日」 著者名:仙経顕聖(著)
出版社:新風舎
出版年:2006.03
ISBN :4797479833
「思い切って日本語を捨てる」 − 実に思い切った意見。
しかし日本語を捨てた後は?
その後の日本人が言語なしで、というわけにはいかないから、
何か別の言語を採用するしかない。
(今更新しい言語を作る、というわけにもいかないだろうし)
その言語は... 何となく想像つくけれど。
というところから読み始める。
で、よんでいくうちに結局想像どおり、
採用するのはやっぱり英語なのね...
(まぁ、これぐらいは誰でも想像つくか)
しかし、日本語を切るには「思い切って日本語を捨てる」と
随分思い切った言い方をしているのに対し、捨てた後英語を採用する
記述になると、何故か歯切れが悪い。
「中国語ってわけにもいかないようだから英語かな」とか。
何となく消極的な書き方。
「思い切って日本語を捨てる」と書いた以上は、
「絶対に英語を採用すべきだ」というような類の
思い切った記述があって然るべき、と思い、
最後まで読んだにもかかわらず、英語に対する
思い切った記述は最後まで出てこなかった.....。
著者は「思い切って日本語を捨てる」だけが言いたかったのだろうか?
しかしそれでは片手落ち。
人間である以上は、ある言語を捨てれば、別の言語を使わざるをえない。
この手の意見はそこまで書いて初めて完全だと考える。
そういう意味では、「結論が腰砕け」という感じもする。
ちょっと言い方悪いかもしれないけれど、
著者自身こそ、日本の国民性そのもの、というようにも思える。
内容は、なんと書く同じようなことの繰り返しで、ちょっと読みづらい。
300ページぐらいある本だけれど、もっと簡潔にまとめれば
半分以下になるのでは、と思えるほど。
なにか脈絡なく書かれているように思えます。
そのせいもあってかどうかは分からないけれど、
書いてあることが変わってしまうことがある(しかも大事なことで)。
最初の方で、
「日本語はあくまでも民族国民性を決定する要因の付属的・付随的なものであり、表層的・表面的なものでしかありません」
と書かれてあったのにもかかわらず、本の後半では、
「言語が国民性と大いに関係するということに気付いておられる方はあまりおられないように思います」
という記述が見られる。
言語と国民性の関係については、この本の内容では
すごく重要なことなのではないでしょうか?
それが途中で解釈が変わる、というのはどういうこと?
結局、言語が国民性はどれぐらい関係があるのか
本人は分かって書いているのだろうか?
そういう疑問も出てきます。
ただ、日本人の国民性については、
よく分析されていると思います。
日本人の長所、短所。
海外でビジネスをしている上での問題点など。
その問題点が日本語の持つ特徴に起因することなど、
この辺りは誰でも納得できることではないかと思います。
ただ、この本でやたらと出てくる言葉に「グローバル化」というのがあります。
しかし「グローバル化」ってどういうこと?
単に言葉の意味だと 国際化、地球規模化. を意味するようだけれど、
この本で言う「グローバル化」はアメリカの資本主義、ビジネスの方法に
従うこと、のように思えてしまう。
では何? アメリカの世界戦略の片棒を担げ、ということ?
アメリカが現時点で経済も軍事も大きな力を持っているのは事実。
しかし、だからといってアメリカの「自分達の主義を正義」といって他国に
押し付けるやり方は正しいとは思えない。
そんなアメリカのビジネスの勢いに便乗するために、
日本語を捨てて英語を採用するのか?
それこそ日本という国が崩壊するのでは、と思える。
近いうちにアメリカの信託統治領になってしまうのではないだろうか...
(アメリカの51番目の州にすら編入してもらえない)
ここでやっと結論ですが (長くてスミマセン)、
日本語を捨てて英語を採用すれば、
日本人の国民性は変わるのか?
著者は日本語と英語の構造(文法)の違いから、「変わる」と
思われているようですが、私はそうは思いません。
その大きな理由は、実は著者自身がこの本の中で
延々と書かれているのです。
・過去(にかぎらず)西洋の言葉を取り入れている。
・最近の日本語は堕落している。
・日本人自身が日本語を変化させている。
など。
日本語自体も次々と変わっていっているのです。
このこと自体が日本人の国民性だと思います。
だからどうなのか、というと、
日本語を廃止して英語を採用しても、
「日本人の国民性は変わらない」ということではないでしょうか。
今でも新たな新語を次々と生み出す日本人。
日本人が英語を採用したところで、同じことの繰り返しです。
つまり、英語に「日本人が使いやすい単語」を次々と
加えていくわけです。
何かの本に、「言葉は生き物」というような表現があったような
記憶があるのですが、英語もその例に漏れず。
日本人が英語を正式に使えば、英語は日本人の国民性になった言語に
作り変えられてしまうわけです。
(私は学者ではないので根拠は示せませんが、上記のように感じます)
言語を変えたぐらいでは国民性は変わりません。
かつて日本が朝鮮半島を侵略したとき、
日本人は朝鮮半島で朝鮮人に日本語の教育をしたようですが、
朝鮮人の国民性は変わりましたか?
日本人の国民性を本当に変えたければ、
「日本列島を捨てること」だと私は思います。
アメリカ大陸でもヨーロッパでも、アジアのどこかでもいい、
日本列島を捨て、日本人全員が別の場所に移住すれば、
確実にその場所にあった国民性に変わると思います。
たとえ日本語を使っていたとしても。
(これは私の仮説です。誰か証明してくれないでしょうか...)



>>日本人の国民性を本当に変えたければ、「日本列島を捨てること」だと私は思います。
なぜなら、日本列島を捨てることは日本語を捨てることであると、私は考えることができます。
もし、日本人が日本列島を捨てたら、おそらく、日本列島は中国人か朝鮮人のものになるだろう。
そうなれば、日本列島で使われている言語は、中国語か朝鮮語になるでしょう。
それから、日本列島を捨てた日本人は、自己主張しない日本人の国民性から、現地の言語に移行すると思えます。なぜなら、現地の人々は奇妙な日本語に関心を持ちますが、その9割以上がひらがなを習う程度で日本語学習は終わります。逆に、日本人が現地の生活に順応するには、日本人が現地の言語を習うだろう。
それゆえに、貴方の仮説は見当違いであると、私は思えます。
なぜなら、日本語が真の日本人のアイデンティティであるならば、日本語を使っている売国奴や日本語が達者な中国人・朝鮮人は、日本人であるということです。中国人・朝鮮人・売国日本人は、真の日本人でないと、私は思います。